自業自得 金遣いの荒さが親を巻き込んでしまった

私は元々金遣いが荒く高校卒業したと同時に就職し東京に行きました。最初の2年は余り周りに気を付けてたので大丈夫だったのですが20歳になり会社の同僚と夜のお店に行くようになり私は最初断ってたのですがそのうち行くようになりました。何回も通っているうちに夜のお店の人に恋をしてしまい週に何回も通うことになったのです。新卒で入ってベースアップしてもたかがしれてるのに何回も通う・・同僚にも先輩にも止めたのにゆうこと聞かず通いました。最初はお金が無くなったら行かない様にしてたのですが、会いたい気持ちが大きくなり最終的には借金してまで行くようになりました。最初の借金はキャッシングで30万(アコム)初めて借りた時は、大事に使えば大丈夫なんてことを考えてたのですが数か月後、アコムの返済や食事もできない状態になり次も借りる事にしました。キャッシングで30万(アイフル)これではまずいと思い夜の店に行かない事を決めたのですが、わずか1カ月半で我慢できなく行くようになり以前の様になりました。そこからは早いもんですぐにお金が無くなり、その頃には会社に借りた所から電話が掛かって来る様になり、相手は名乗らなかったですがなんとなくわかってるようでしたので会社にいずらい状態になり退職し実家に戻ることになりました。 実家に戻ってからは家族に隠してましたが直ぐにばれて半分家を追い出されかけました。何とか母が父に頼み私の借金を返す事になったのですが条件として働いたら給料2万残して親に返済という事になり毎月返していきました。とりあえずアルバイトを直ぐにみつけて返済していきましたがフルタイムで働けなかったので1年位掛かって解しました。自業自得とはいえ同級生と毎回遊びに行けなかったし友達と外出しても好きな食事もできずパンとかおにぎりなど食べてました。過去の事とはいえ今思い出しても情けなくて泣けてきます。

“私は愛知県内に住む32歳既婚女性です。6歳上の夫と4年前に結婚しました。子供はいませんが夫婦2人で仲の良い時間を過ごしてました。夫は小さいけれども十分社会貢献をしている家具の卸売関係の会社を経営していました。しかし、社会の不況の波にのまれ、年々経営は悪化し、ついには経営回復できずに昨年倒産してしまいました。従業員への給料なども払うお金がなくなりました。それまでは贅沢こそできないものの人並みの生活が送れていたのですが、倒産により900万という多額の負債を一気に抱えることになりました。
私たちは頻繁にかかってくる借金取りの電話や直接家に来る取り立ての際に利息分を払ったり、時には期日の延長を頼み込みながら、お互いとにかくお金を集めようと決めました。無我夢中で毎日とにかく借金返済のことを考えていました。そのため、1日1食だったり、睡眠時間を削ったりして無理をしながらとにかくお金を稼ぐことだけを最優先にしました。
夫は朝から晩まで体力勝負で高じ急でもある「現場仕事」をし、私はガールズバーと出会いカフェ、そしてチャットレディのバイトを始めました。しかし月々に返済できる金額というのは利息分が限界で元金は全然減っていきませんでした。何とか4ヶ月ぐらいは寝る間も惜しんで働き続けましたがそんな生活にも限界が来ました。「収入が良い」という面だけに着目し、今までやったことのない現場作業をひたすら繰り返した夫は倒れてしまいました。貯金は既に底をついていた状態だったので私たちに残されたお金はもう有りませんでした。私がどんなに高時給のバイトを続けていっても借金なんて返せるわけも無かったので、私たちは債務整理をせざる得ない状況になりました。
私は夫と相談し、学生時代の友人のツテでとある弁護士を紹介してもらいました。過払い金や債務整理などを専門とする弁護士だとのことで私たちがおかれている状況や借金を抱えることになった詳しい状況などを事細かく話しました。私たち自身の考えでは継続した収入が見込めないことから、はじめは自己破産手続きを考えていました。しかし、弁護士は私たちに「任意整理」という手続きを勧めることが最適だと言い任意整理の手続きを進めることに決めました。借金の減額や金利の引き直しなどを交渉することにより毎月の返済金額を減額して、生活に支障のない範囲での返済を行えるようにする手続きのことなので、自分たちが抱えた借金を無理なく返していくために弁護士の協力を得ながら手続きを進めていきました。
弁護士にその調査と手続きを一任していたのですが、まず貸金業者から開示された取引履歴をもとに、金利の上限(15~20%)に基づく引き直し計算を行い、借金の総額を確定しました。そして次に「和解交渉」をしていきました。和解案を提示し、貸金業者と和解内容について交渉したのですが、賃金業者とこちらの折り合いがなかなかつかず、交渉は難航しましたが、法的な視点から弁護しががんばってくれて何とか落ち着きました。そして、交渉が確定し、和解内容を確認するため合意書を作成しました。その後は和解に関する合意書で確認されたその内容に基づき、毎月貸金業者の指定する口座に分割金を振込んでいくことになりました。 任意整理の手続きを進める一方で夫は身体に負担のかからない仕事をしながら稼ぎ、私は夜の仕事を本格的に始めました。その仕事で得た報酬を弁護士の協力もあったことから得た和解内容に沿って返済していったので「無理のない返済」ができていきました。そして、本当に少しずつですが徐々に人間らしい生活ができるようになっていきました。 任意整理をするまでは毎月20万円ずつ返済していたのが、半額以下の8万円の返済で済むようになってきました。それにより体調が回復していった夫は「無理に体力勝負の高時給の仕事」をすることはなく、「高時給だけど身体に負担が大きくない仕事」をすることができるようになっていきました。もちろん今でも借金は返し続けていますが、無理のない返済を続けていることから以前より貧しく生きていくのにギリギリであるものの、何とか生活はできています。
これまでこんな多額の金額の借金を抱えるとは思ってもいませんでした。お金に関してもそこまで重要に考えていませんでした。「まさか自分が」と思っていました。しかし、いざ自分が借金を抱えたことによりお金の怖さとお金の重要さに気づきました。結果的に私は弁護士を通じ、法的な目線から任意整理をすることができました。「任意整理をする」ということに対して悔しい気持ち、情けない気持ち、そして「任意整理何かしてたまるか」というヤケクソになった気持ちもありました。しかし、そこはすべてのプライドを捨てて現実を見、生きていくことを最優先とした結果今では任意整理をして良かったと思っています。”

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